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追憶のシネマ ~東京楽天地物語~

このコラムは、TOHOシネマズ錦糸町 楽天地のオープン1周年にあたり、楽天地と映画館の歴史について取材してもらいました。
追憶のシネマ ~東京楽天地物語~
“喜劇王”チャールズ・チャップリンが残した言葉に、こんなものがある。

「このひどい世の中、永遠のものなんてないのさ。我々のトラブルさえね」

そう、永遠なんてない。
 

例えば、人や町はしだいに変わっていく。残念だけど変わる。私たちが変わらないと信じているものほど、案外簡単に変わる。

けれど、人がどんなことに心動かされるかは、きっと永く普遍的なものだ。80年前に生きていた人も、今の人と同じような小説の一節や、映画のワンシーンで泣いたり笑ったりしたんだと思う。

ふとそんなことを考えたのは、錦糸町にある複合商業施設『楽天地』からの帰り道。
 
施設の一部である映画館、「楽天地シネマズ」が昔ながらの全席自由席を廃止し、「TOHOシネマズ錦糸町 楽天地」としてリニューアルオープンしたと聞き、そこで働く友人と代表の方に話を聞きに行った。




大衆娯楽である映画館は、人間が生きるうえで必須のものではない。けれど、この世に生まれるべくして生まれたと言える。

映画が持つ意義というのは、「人生を変えた」とかそんな大それたことではなくていい。きっと、誰かの何かのたった一つのきっかけになれればいいのだ。
 
映画を観る前にはなかった、ほんの小さな感情が一瞬でも芽生えれば、映画が存在することに大きな意味があるんだと思う。
 
その一瞬のために、私たちは映画を観ているんじゃないだろうか。

東京には、映画が人のすぐそばに寄り添う街がある。そのひとつが、錦糸町。

錦糸町が「映画の街」と称されるのは、80年以上ものあいだ街の娯楽を支え、苦楽をともにしてきた映画館『楽天地』の存在に他ならない。
 
駅前にたたずむ白くて大きな建物は、この下町の人々にとっての当たり前の町の風景として長らくそこで営みを続けている。

 
現在の楽天地ビル
 
錦糸町周辺は、1923年の関東大震災により甚大な被害を受けながらも、急速な復興を遂げ生活に明るさを取り戻していく。
 
1937年、小林一三が錦糸町の駅のそばにある工場跡地を見て、界隈で働く労働者のための「健全な娯楽」を提供するために『楽天地』を創設したのだ。
昭和13年4月仲通り通路

JR総武線沿いに広がる5,000坪にもおよぶ汽車製造工場跡地を、映画館や芝居小屋、仲見世、遊技場など、大人から子供まで楽しめる関東最大の街として作り上げた場所。それが『楽天地』の前身となる「江東楽天地」である。
 
『楽天地』は、そんな世相の中で営業を開始した。だが、1945年の東京大空襲により錦糸町も爆撃され、奇跡的に被害を免れた江東劇場と本所映画館の2館を除き、全て灰と化してしまった。

 
焼け野原となった錦糸町

終戦を迎え時代が移り変わっても、形を変えながら『楽天地』の映画館はそこに在り続けた。
 
そして、昭和の香りを残すレトロな映画館として町の人に愛されてきた『楽天地シネマズ』は、平成時代の終わりと同時に、令和時代の訪れを迎えるかのように、2018年秋に『TOHOシネマズ』として生まれ変わった。

 
昔ながらの映画館・キネカ錦糸町

『楽天地』の映画館は昔ながらの自由席方式をとっていたが、今回の改修によって今ではおなじみのチケット予約の指定席制が導入された。
 
生まれ変わることが良いことなのか、悪いことなのかは一概に語れない。
 
ただ、需要や売り上げという事情は切っても切り離すことはできない。それは、その時代の人が持つ価値観を変え続ける「時代のせい」なのだ。
 
 
楽天地ビル前。「ゴジラvsビオランテ」の告知をしている。

83年という歴史の中で、『楽天地』は訪れる人々の名もなき物語を見守ってきた。
 
株式会社東京楽天地の取締役興行部長・友江博之さんは、興行部において30年間、映画館を支えてきた大ベテランだ。
 
「お客様との印象的だったエピソードはありますか」と聞くと、訥々と語ってくれた。
友江取締役写真
 

「よく声をかけてくれるお客様がたくさんいました。例えば、シルベスタ・スタローン主演『ロッキー』の上映終了後、 
『スタローンが何回も同じ口癖のようなことを言ってるんだが、なんて言っているの?』 
と常連のお客様に尋ねられて。急いで配給会社に問い合わせをし、次回来ていただいた時にお答えをしました」
 
「1年というロングラン興行を打ち出した『タイタニック』が上映された際には、幅広い世代のお客様がリピーターでいらしてくれました。
顔見知りになったお爺ちゃんと女子高生がロビーで『今日で何回目です』と話したり、映画の感想を語り合ったりする光景をよく見ましたね」
 
「1日に何回もスタッフに会いに来てくれるお客さんもいました。映画館のスタッフとの会話が楽しいんでしょうね。映画館が個人商店として、お客様と1対1の関係でいられるんだと実感しましたね」
 
 

もしかしたら、誰かにとっての「あたりまえ」であり続けるということは、「特別」であり続けることよりも尊いことではないだろうか。

西日が差す錦糸町を歩きながら、当たり前の風景の中で生まれたであろう物語を想像した。

かつて他人同士で映画を観に来た男女が、今度は夫婦になって訪れたかもしれない。
 
パパとママに連れられて来た子供が、いつか自分の子供の手を引きながら遊びに来たかもしれない。

毎週通っていた映画好きの老夫婦。次第に来る頻度が少なくなり、終いにはまったく来なくなってしまったかもしれない。




「楽天地シネマズ」は変わった。
 
けれど、街にはかつてそこで映画を観ていた人や、今も映画館で働いている人たちがいる。そんな人々の記憶の中に、これまでの風景が残っている限り、積み重ねてきた大切なつながりは変わらないのだと思う。

そして、「TOHOシネマズ錦糸町楽天地」はまた誰かの、いつか懐かしい思い出を紡いでいくだろう。

今日も錦糸町には、変わっていく、いつも当たり前の風景がある。
 

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森下夏樹/コピーライター
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